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ご挨拶
結婚を機に退職後、リンパセラピーとベビーマッサージの資格を取得。
その後、妊娠出産を経て、現在も子育てに奮闘中です。
幼い頃から高校生の頃までふくよかな体系で、人一倍色々なことに気が付き、気が回ってしまう敏感な子で、家族からは難しい子だと言われることがよくありました。
人間関係や恋愛、学業のことなど、悩みも、とってもたくさん抱えていました。
人は、何か困ったことや不思議なことがあると、それが何なのか、なぜこんなことが起こるのかという疑問に辿り着くような気がします。
例えば、すごく痛い思いをすると「何でこんなに痛い思いをしなければならないのだろう」とか、辛い思いをすると「なぜこんな辛い思いをしなければならないんだろう」と思ったことはありませんか?
いつしか、その「なぜ」といったところに、きっと、私たちが生きる本当の意味があるんじゃないかな、と思うようになりました。
生きること、死ぬこと、真理、悟りなどという分野に興味があり、なぜ人は死ぬのか、なぜ人は生きるのか。ということと自問自答することが多かったのも理由にあるのではないかと思います。
その反面、自分の物事の見方、考え方、育った文化だけにとらわれずに、物事の本質を見極める力や、人生で迎えるさまざまな道に対応する力を養わなければならないとも、思うようになれました。
なんとなくの予感が当たったり、イメージや直感を信用することで物事がうまくいったりすることがありました。
これももちろん、私だけではなく皆さんも同じような体験はあるのではないでしょうか。
人間には、私たちが思っている以上に色々な感覚が備わっています。
そして世の中には、良いものも良くないものもたくさん存在していることを知る機会もありました。
生い立ちや生まれた場所などは、あくまでも情報やその人にとって必要な要素です。
人と比べて自分が幸せ不幸せ、勝ち組負け組、親ガチャなどというところの判断に至らせる材料にはならないと思います。
どんな状況の中にでも豊かさは存在しています。自分がその中で何を学び、選んでゆくかが肝心要な部分ですよね。
そのおかげもあり、心と精神、この世とあの世を切り離さずにいれたこと
ありがたいことに、色々な経験をし、色々な方々と出会い、色々な想いの中で、自分の心と対峙してゆくことができました。
その中で、大人になるにつれ自分が抱えている悩みの本当の意味が理解できるようになりました。
子供の時からの過敏すぎる気質や、観察眼が役に立ったこともありますが、その時の喜びと言ったら、言葉に表しようのないくらい嬉しかったんです。
『なぜそういった現象が起こるのか』、ということが解って、嬉しかったんです。
疑問が疑問でなるとスッキリします。
前に進めそうな予感がするというか、腑に落ちるというのは、今までなかったパズルのピースが揃うような気持ちになります。
私にとっての本当の喜びは、人生を通じて起こる『なぜ』の部分を追求して、自分や人の幸せに通じる、何かにあるんだと気付いた瞬間でもありました。
知識を知恵に、知恵を智慧に、智慧を英知に、英知を叡智に昇華させてゆくように、自分自身を変化変容させてゆかなければなりません。
そういう想いがあることから、癒しと救いの両方を兼ね備えたサロンを常々思い描いておりました。
ここで、疑問に思われるかもしれませんが、「なぜその疑問や現象を理解出来たのか」というところです。
大まかにですが、勉強と同じで、足し算の次は引き算、その次はかけ算、割り算...と繋がっているように、全部物事って繋がっています。
宇宙も、私たちのDNAも螺旋して繋がっています。
テレビも、入力と出力、電源が伴って見ることが出来ます。
ラジオなどは周波数の高い低いで聞くことができますよね。
理由はまだまだありますが、これらは人も同じです。
昨今では科学的にも解読が進み、西洋医学的にも、東洋医学的からも理解することが出来ます。
チャクラや丹田などの観点からも心と精神、物理的なつながりを理解することが出来ます。
中には証拠といったエビデンスを求める声もありますが、証拠というものは自分自身の心の中にいつも存在しているもので、自分の思考と行動と想いが一致していれば全てが腑に落とすことが出来ます。
物事には、物理的な面と精神性な面の両方が存在します。
今の世の中は、物理的な面がメインで成立している部分が多いですが、それだけですと長続きしなかったり、持続しなかったり、本当の意味での幸せや豊かさに繋がらないことがあります。
でも、物理的な面を大切にすることも、とても大切です。
逆に精神性ばかりを追求していると、天や宇宙にばかり集中し、依存的な思考になり、論理的に必要なことを省いているように見られてしまうようになってしまいます。
情報を間違えて捉えたり、視点や意図、思想がが偏っていたりすると、また意味合いが全く変わってきてしまいます。
頭で理屈だけ理解していても、本質を理解しなければ本当の理解には繋がりません。ここからも、さまざまな課題と学びを実践してゆく必要があります。
でも、精神的な面そのものが全てに通じることであり、大切にするべきことでもあります。
物事をあらゆる角度や側面から見たり、自分軸や他人軸を行ったり来たりしながら、柔軟性を持ちながら中道や中庸のバランスを取ることが出来たら、一番善い形で自分自身を育むことが出来るのではないでしょうか。
せっかくある物理的な面と、せっかくある精神的な面の両方を、地に足をつけて、森羅万象を信じ、自分と向き合って生きてゆくと、持続する幸せというものに繋がってゆきます。
もちろん私は現在も、本当の意味での幸せと豊かさ、愛と真理について追求しています。
物事の追求は決して尽きることがありません。
何か1つ分かるようになったからと言って終わりではありません。
なぜならば、愛の核は『成長』というものだからです。
私たちが生きている意味は、大きく言うと『成長するため』です。
人知では全う出来ないことは、もちろんあります。
神話などに登場する神様方、神社や寺院、西洋の天使などは、私たちを守るために存在し、守りたいと思ってくれています。
そういった方々は、ちゃんと理由があって存在しています。
リンパマッサージに出会ったのは、高校生の時でした。
私があまりに自分の身体に無頓着で、浮腫や火照り、過食の症状があったことから、見かねた家族が、リンパマッサージという本を購入し、私にレクチャーしてくれたことがきっかけでした。
大学生に入り、初めて恋愛をしたことをきっかけにダイエットに大奮闘し、リンパマッサージを取り入れました。
恋愛をしたことで初めて自分自身を客観的に見ることが出来るようになり、自分がどうあれば幸せでいられるのかを考えるようになった出来事でした。
暴飲暴食をやめ運動をしたことで浮腫がとれ、スッキリした面立ちになりました。
滞りは体にも良くないな、と思うようになり、お風呂に入るたびにマッサージするようになりました。
自分自身に自信を持てるようになると、色々なことに前向きになれ、自分自身への自信を持てるようになったことに喜びを感じました。
身は体を表すと言いますが、意識が体を変えるということを、ダイエットを通じて理解したように思えましたが、今になって思うことは、当時まだまだ『自分を大切にする』という必要な知識がなかったように思います。
心と体は繋がっています。
調身、調息、調心 という言葉があるように
どれかひとつが乱れていると、全てが乱れます。
天神合一、天地同根、万物一体、天地一体という言葉があるように、自分自身をおろそかにせず、天と繋がっていることで、人生が安定することが多々あります。
物理的な面、精神的な面から、自分自身と向き合うことが、本当に本当に大切なのだと心底感じています。
私が一番恐れていることは、無知であることと、横着や怠惰であること、感情だけで物事を見て判断したり、自己都合やエゴだけで行動すること、無理矢理人を変えようとすることです。
これも、経験から感じたことです。
人生のありとあらゆることを学び、楽しみ、成長している時、私自身いつも幸せで満たされています。
すると、自然と身の回りも調和されてゆきました。
これは私だけのことではありません。もちろん、同じように感じる方は多いのではないでしょうか。
人生のことを語るには私自身、まだまだ色々と経験してゆかねばなりません。
結局私は、自分が死んだ時あの世に持ち帰るとしたら、経験から何を学びどう成長したか、ということ以外にないなと思いました。
なにもあの世に持ち帰りませんでした、私の魂は生まれた時のレベルのままか、もしくはそれ以下でした、では、自分のせっかくの人生を棒に振るようなものではないかという思いもあります。
私は、それが一番恐ろしいと思っていることです。
これは極論かもしれませんが、『愛』という言葉があるように、私たちが存在出来るのは、愛というものががあるからです。
愛には、いろいろな種類があります。自分が悪いと思っていることの中にも、実はそこに愛があることもあります。
優しいのも愛だし、厳しいのも愛です。
私たちは、愛に包まれています。私たちは、愛そのものです。
それは、決して忘れてはならないし、そう信じてよいものだと思います。
長々と私のことを綴らせて頂きましたが、一体何が言いたいかと申しますと、このサロンは、心と体についての救いと癒しのサロンであるがゆえに、色々な現象を紐解き、成長へと繋げるサロンでもあるということです。
皆様の人生にも、色々あったと思います。これからも、色々あるでしょう。
ご自身の人生を、より幸せに向かわせたい方、成長されたい方の背中を押したり、追求されたい方のお手伝いが出来れば幸いです。